修学旅行の自由行動の時間に友達に存在を忘れられてぼっちになった話

修学旅行の自由行動の時間に友達に存在を忘れられてぼっちになった話

修学旅行の自由行動の時間に友達に存在を忘れられてぼっちになった話

 

高校3年になると、修学旅行があります。

 

受験があるためか、私の高校の修学旅行は3年になったばかりのタイミングでありました。

 

そしてこの修学旅行の自由時間に私はぼっちになりました。


私の存在を忘れたあいつマジムカつく…。

前の記事に書きましたが私は1年のときはぼっち飯が多かったです。

 

でも3年になると一応クラスに弓道部仲間が一人いたのと、友達いない変人で1人多少仲のいい人が1人いて、いつもその3人でお昼を食べてました。

 

だから修学旅行も基本その2人と行動することになるだろうと思ってました。

 

 

しかし…

 

 

修学旅行の自由行動の時間、私はその2人を探したんですがいつの間にかいなくなってました。

 

で、私は完全にぼっちになりました。

 

なので仕方なく一人でうろうろすることになりました。

 

 

修学旅行の自由行動は自由行動と言っても基本的にグループで行動するもの。

 

一人で行動する人はいません。

 

 

とりあえずうちの学校の修学旅行の自由行動の時間に一人で行動してたのは完全に私一人だけでした。

 

私といつもお昼を食べてた2人は完全に私の存在を忘れてたようです。

 

 

前の記事で弓道部の先輩に優しくされて「人間っていいな」って思ったんですが、このときばかりはさすがに「人間って糞だな」って思いました。

 

 

まぁね。私はしゃべらないので存在感薄くて学校では幽霊みたいな存在ですよ。

 

でもいつもお昼一緒に食べてた人にまで存在忘れられるってなんなんでしょう。

 

 

「一生許さない」って思ってその後この2人とお昼一緒に食べるのやめてぼっち飯に戻りました。

 

そんな奴らとつるむくらいならぼっちの方が断然マシです。

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