教室の一番前の席でのぼっち飯は公開処刑されてるみたいで辛かった話

高校でも場面緘黙が継続した私に、友達はいませんでした。
そして中学までは給食で、お昼は好き嫌い関係なく近い席の人同士で机をくっつけて食べるよう決まってました。
しかし高校はそうじゃなかった。
ぼっち飯生活の始まりでした。
ぼっち飯してる人は最初は他にもいたけど
高校には給食がなく、弁当でした。
持参する人が多かったですが、校内にある売店で買う人もいました。
で、どこで食べるかは自由。
たいていの人は友達同士でグループで食べます。
最初は特に男子で友達がいない人も多かったのでぼっち飯してるのは私だけではありませんでした。
私の高校は進学校で男子はプライド高い人が多かったので特にぼっち飯してる人は多めだったと思います。
なのでぼっち飯しててもそんなに目立たないし、別に恥ずかいことをしてる感覚もあまりなく、気楽に食べれてよかったです。
しかし、それは最初だけでした。
無口でクール系の男子にも体育の授業や部活などを通して友達ができていきます。
ぼっち飯してる人はだんだんと減っていき、ついにはほぼ私一人くらいになりました。
一番前の席でのぼっち飯の恥ずかしさは異常
たまたまですが、私は2回連続で席が廊下側最右端の一番前でした。
目の前に扉があるんですが、授業中以外この扉は開いてます。
この席は私が一番嫌いな席でした。
廊下から丸見えだからです。
私がぼっち飯してることも、休み時間に一人でいることも。
特にぼっち飯してるときは廊下を歩いてる人にも教室内でお昼を食べてる人もみんなから私の姿が視界に入ります。
実はまだ中学のときになった視線恐怖症が治ってなかった私にとってこの
「見られてるかもしれない」
という感覚は恐怖でした。
ぼっち飯でお昼を食べるときは常にこの恐怖と戦ってたので、どんなに好きなおかずが入っていようと弁当をおいしいと思ったことはありませんでした。
ぼっち飯してるところを見られるのが嫌で弁当をトイレに持ち込んでトイレの個室で食べる「便所飯」というのをする人もいるそうですね。
さすがに私は便所飯はしませんでしたが、周りにぼっち飯してる人は誰もいない状況でのぼっち飯はやはり苦痛ですね。
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