海外に短期留学した時に英語ならコミュ障にならないことに気づいた話

海外に短期留学した時に英語ならコミュ障にならないことに気づいた話

海外に短期留学した時に英語ならコミュ障にならないことに気づいた話

場面緘黙の後遺症のコミュ障がひどすぎてまともに人としゃべれず、友達ができなくて孤独だった私にとって、大学生活は糞つまらないものでした。

 

元々興味なかった授業もつまらなかったですし。

 

 

で、あまりにつまらないので何かしようと思ってやったのが海外短期留学。

 

一応英語が一番得意科目だった私は人生で一度くらい海外に行きたいとは思ってたんですが、行くなら時間のある今だと思ったんです。

 

 

それでインターネットでよさげなオーストラリアへの2週間の短期留学プログラムを見つけて応募し、行くことになりました。


入ったのはエリートばかりの学校だった

私が応募したオーストラリアの短期留学プログラムは東京で学生主催で作られたプログラムで私の大学とは関係ないものでした。

 

だから参加者に同じ大学の人はいません。

 

 

私以外は東大、京大、早稲田、慶応、上智と高学歴のエリート揃いでした。

 

特に京大生が多く、参加者10人くらいのうち5人が京大生でした。

 

 

ちなみに私は新潟大学。一応新潟県内ではエリート扱いですが、全国では3流大学です。

 

こりゃヤバいかも、と思いましたが、英語だけは得意だった私はこのエリートたちの中でもなんとかついて行けました。

 

というかこのメンツでも私の英語力はクラス内で平均より上だった気がします。

 

 

参加者全員が日本人のクラスでしたが先生は日本語がしゃべれないオーストラリア人なので、授業は完全に英語で行われました。

 

これは私にとって初めての経験でしたが、この先生の英語はとてもきれいで聞き取りやすかったので意外と聞き取れて何とかなりました。

 

 

授業は日本のものと違って、よく生徒間でペアを組んでしゃべったり、発表したりすることが多かったです。

 

また授業外でも、ホストファミリーの家、買い物するとき、遊ぶときなども英語でしゃべりました。

 

 

そうやって英語をしゃべってる時に感じたのが、日本語をしゃべってるときに感じる劣等感がないこと。

 

 

私が日本語をしゃべるときは嫌でも自分のコミュ力が平均と比べて大幅に低いことを意識して劣等感を感じずにはいられませんでした。

 

15年間も学校でしゃべらず、学校で子ども時代に磨かれるはずのコミュ力を磨けなかったことがずっと頭にあったのもあります。

 

 

でも英語をしゃべるときはそんなの関係ないからか、しゃべることに対する苦手意識をあまり感じずに済みました。

 

まぁ元々性格がシャイなので積極的にしゃべる方ではありませんでしたが、日本語をしゃべるときよりもだいぶ楽にしゃべれました。

 

 

留学中に一度クルーズ船という、人と交流するパーティーが行われてる船に乗ってお酒を飲みながら人と交流する場に参加したことがありました。

 

そのとき私はなんとオーストラリア人の美女に自分から話しかけました。

 

 

その美女の友達がトイレに行ってる短い間でしたが、「日本のアニメのワンピース知ってる?」って聞いたら知ってたので「誰が好き?」って聞いたら「サンジ」って答えて、「なんで?」って聞いたら「イケメンだし紳士だから」「そうだねー」って感じの会話をしました。

 

もちろん英語で。

 

 

今思うともうちょい相手に気を遣って会話しろよと思いますが、まぁコミュ障だったので笑

 

コミュ障なりには頑張ったと思います。

 

 

特に日本人と英語でしゃべってるときは相手より自分の方が英語が得意なことが多いです。

 

そのためか、英語をしゃべるときは自信を持ってしゃべれることが多かったです。

 

 

あと英語は日本語と違って誰とでもフランクに話せるのがいいですね。

 

日本だと知らない人とは遠慮して敬語で当たり障りのない会話しかしませんが、英語は初対面の人といきなりため口でフレンドリーな会話がしやすいです。

 

日本の環境ってコミュ障でコミュ力磨きたい人にはきつい気がしますね。

留学後に国内留学してこのことに確信が持てた

私はこのオーストラリアの短期留学により、英語なら普通にしゃべれる自分に気づきました。

 

で、本当にそうかどうか試してみようと思い、もう一度海外に留学するには金銭的にきつかったので国内留学という、国内で行われてる日本語禁止の合宿プログラムに参加しました。

 

これも結構高かったですけど。

 

 

で、実際に日本語禁止環境でもう一度生活してみて、確信が持てました。

 

英語ならコミュ障にならず、自信をもってしゃべれることに。

 

 

この学校は少人数クラスで私含めて3〜4人だったんですけど、その中で私が断トツでしゃべれました。

 

日本人の英語学習者って全然しゃべれない人ばっかりなので。

 

 

おかげでよく先生に褒められるし、他の生徒から尊敬の眼差しを向けられるしでだいぶ自信が持てましたね。

 

 

そしてこの学校ではいろんな人とフランクにしゃべれました。

 

3個くらい会社持ってる経営者とも、会社のトップとしゃべる監査の仕事をしてて日本語だったらコミュ力めっちゃ高い人とか、早稲田卒の新聞記者とか、女子高生とか。

 

こういう全然違うバックグラウンドの人と日本語で会話したらコミュ障じゃなくてもなかなかまともに会話できないと思います。

 

それが英語だと普通にしゃべれて仲良くなれちゃうから英語ってすごいです。

 

 

とにかく日本語だと劣等感でコミュ障になるけど英語だと優越感を感じるからコミュ障にならずにしゃべれることが確信を持ってわかりました。

 

つまり日本語をしゃべれるようにするには劣等感を克服すればいい。

 

でも15年間しゃべらなかったことで身に付いてしまった劣等感はそう簡単には克服できない。

 

 

なら英語が母国語の海外に住んじゃえばいいんじゃね?

 

当時私は残業が多い日本で働きたくなくて、残業が少なくライフワークバランスのいい海外への憧れもあり、海外に住むことも結構真剣に考えてました。

 

 

しかしその後何度か日本で行われる国際パーティーに参加して、私が英語ならコミュ障にならないとは限らないことに気づきました。

 

私が英語得意な分しゃべることに劣等感を感じなくて済むのは、あくまで相対的に見て日本人英語学習者の英語力が低い分私の英語力が高いから起きる現象。

 

相手が自分より英語ペラペラな人だと起きないんですね。

 

 

国際パーティーに参加してた欧米の外人は英語がペラペラなんですが、私には早すぎて理解が追い付かず、まともに会話できませんでした。

 

それにパーティーでは人見知りも普通に出るので、そもそも初対面の人に話しかけることすらほとんどできなかった。

 

 

一度国際パーティーに参加して2時間誰ともしゃべれずにそのまま帰ったことがあります。

 

シャイすぎて自分から人に話しかけられないので。

 

そしてパーティーではうるさくて声の小さい私がしゃべっても耳元で大声でしゃべらないと伝わらず、どこかの会話に参加することも無理だったので。

 

 

ってことで私が英語ならコミュ障にならずに済むのはあくまで限定的な状況でのみ起きる現象ということがわかりました。

 

 

でもこの経験でよかったのはやることが明確になったことです。

 

私が日本語をしゃべるときコミュ障になるのは劣等感が強いからで、自信が持てればしゃべれる。

 

だからしゃべることに自信をつければいい。

 

 

それがわかったのでその後の私はしゃべることに自信をつけるために色々やり、少しずつしゃべることに対する苦手意識を克服していきました。

 

また声が小さいのは英語でも同じだったので、ボイストレーニングを受けて声を大きくしたのもよかったです。

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