場面緘黙は治った後の後遺症の方が100倍つらいよって話

場面緘黙は治った後の後遺症の方が100倍つらいよって話

場面緘黙は治った後の後遺症の方が100倍つらいよって話

場面緘黙の後遺症に苦しんでる方へ。

 

 

こんにちは。無口おばけです。

 

私は幼稚園から高校卒業まで場面緘黙で、大学からしゃべり始めた結果、場面緘黙の後遺症により人としゃべるのが苦手すぎて悩みまくりました。

 

私の経験上、場面緘黙症は治った後の後遺症の方が100倍つらいと思います。


場面緘黙症が治れば普通にしゃべれてハッピーになれると思っていたあの頃

小学生の頃も、中学生の頃も、高校生の頃も。

 

私はずっと思ってました。

 

 

 

しゃべれさえすれば
どんなにいいだろう…。


 

 

と。

 

 

いつもしゃべれるようになった後の世界を妄想して、しゃべりまくってる自分を想像してました。

 

そしていつかしゃべれるようになったら、今までしゃべりたくてもしゃべれなかった分しゃべりまくるぞと意気込んでました。

 

 

元場面緘黙の人の本とかでも、しゃべれるようになったら一気に友達がたくさんできて感動のハッピーエンドになってる話が多かったのもあり、

 

場面緘黙症が治れば普通にしゃべれるし、今までしゃべりたくてもしゃべれなかった分しゃべりまくるんだろうと思ってました。

 

 

しかし現実は違っていた。

 

 

私は大学に入学したとき、誰かが話しかけてきたらしゃべる準備をしてました。

 

でも誰も話しかけてこなかった。

 

場面緘黙症を治すために知り合いが一人もいない地元から遠い大学を選んだこともありますし、大学生はみんなプライドがあるから友達作りをしようと隣の人に話しかけることはあまりしない。

 

 

で、私が大学で最初にしゃべったのは実験でしゃべる必要に迫られたとき。

 

そして初めてしゃべった時の声はか細くてほとんど相手に聞こえないような声でした。

 

だから何度か聞き返されました。

 

 

その後も同じ学部には友達ができず、しゃべるのは週1の実験のときぐらいだけ。

 

それも一言とか二言だけ。

 

 

一度学科の飲み会があって友達作らなきゃと思って参加したときは一言もしゃべらずに帰りました。

 

人見知りすぎて自分から人に話しかけられないのもありましたし、友達も知り合いもいないので誰からも話しかけられません。

 

そして飲み会のようなうるさい場所では私の小さすぎる声はかき消されてしまい、仮にしゃべっても誰にも聞こえません。

 

 

その後卓球部に入り、部活帰りに1年生みんなでご飯に行くことが時々あり、多少はしゃべる機会にも恵まれましたが、それでも私の発言回数はかなり少なかった。

 

ご飯の時とか、声が小さすぎてみんなに聞こえる声で話せないので、会話に参加しようにも参加できないからです。

 

私がしゃべると隣の人が通訳しないとみんなに通じません。

 

 

そんな感じで私が思い描いていた場面緘黙症を克服したあとの世界と、現実に起きた世界は180℃違っていました。

 

 

場面緘黙症自体15年間も苦しんできてやっとの想いで治したのに、これじゃ報われません。

 

私は絶望しました。

劣等感を克服したらやっと治った

最終的に私がどうやってこのやっかいなコミュ障を治したか。

 

答えは「劣等感の克服」です。

 

 

しゃべるのが苦手という劣等感。

 

人としゃべる、という普通の人にとって当たり前のことができない劣等感。

 

 

子ども時代場面緘黙で15年間しゃべらなかった私にはこれがかなり大きかったです。

 

 

でもあるときたまたまネットサーフィンしてるときに気づいたんです。

 

この劣等感こそが私を苦しめてる原因だということに。

 

 

しゃべるのが苦手で人としゃべるときに自信を持てない。

 

このことが元々コミュ障の私を余計にコミュ障にしてしまってたんです。

 

 

そしてコミュ障の私でも妹としゃべるときは普通にしゃべれてた。

 

それはなぜか?

 

妹としゃべるときは自分がしゃべるのが苦手という劣等感を意識しなくていいから。

 

 

妹以外にもバイトの後輩とか、部活の後輩とかとは比較的しゃべりやすかったり、上司でも穏やかで下手に出てくる系の人となら話しやすかったり。

 

 

で、そうじゃない人と話すときも自分がしゃべるのが苦手だと思うのをやめたらいつの間にかコミュ障じゃなくなってました。

 

 

正確には今も私は多少はコミュ障で普通の人よりは会話苦手だと思います。

 

でもコミュ障であることをまったく不便に感じなくなったのでコミュ障は克服できたと思ってます。

 

 

私が場面緘黙症の後遺症のコミュ障を治すまでにやったことはこちらに書いてますが、最終的に決定打になったのはしゃべるのが苦手という劣等感の克服でした。

 

ってことで場面緘黙症の後遺症に苦しんでる人はこちらの記事に劣等感を克服する方法を書いたので読んでみてください。

 

きっとコミュ障克服に劇的な効果があると思います。

しゃべるのが苦手=コミュ障を治すことの難しさ

絶望した私ですが諦めはしませんでした。

 

今までこんだけしゃべりたくてもしゃべれずに悩んできたしゃべれるようになった結果がこれじゃあどう考えても納得できません。

 

子ども時代しゃべりたくてもしゃべれずに苦しみまくった私には人並みにしゃべれるようになって幸せになる権利がある!と思ってました。

 

 

だから大学〜20代の社会人時代ずっと場面緘黙の後遺症のコミュ障を克服するために頑張りました。

 

 

私の場合、子ども時代場面緘黙症で15年間学校でしゃべらなかったために人と話す経験が圧倒的に不足してるせいでしゃべることに自信を持てない、しゃべり方がわからないのが原因だと思ってました。

 

だから私のコミュ障を治すにはしゃべりまくってしゃべる経験をたくさん積むことが大事なんだと思い込んでました。

 

 

だから人と話しまくって今までしゃべらなかった経験値不足を補おうと考えたんですが、しゃべる経験を積むには話し相手が必要です。

 

でも大学で友達がいない私にはしゃべり相手がいない。

 

 

親友とか、恋人とか、何でも話せる相手が一人でもいればいいんだけどそういう相手がいない。

 

なぜなら、しゃべるのが苦手な私には友達が作れないから。

 

 

友達いないからしゃべるの苦手なままだし、しゃべるの苦手だから友達できないしでその負のループからいつまで経っても抜け出せない。

 

一人でもいいから友達ができれば、と思って友達作りの場に参加しては、超人見知り&ドコミュ障なために全然しゃべれず、友達作り以前の問題で落ち込む、ということを繰り返しました。

 

 

だからもう友達を作るのは諦めて

 

接客系のバイトをしまくったり、
ガールズバーに通ったり、
フィリピン留学してマンツーマンで1日8時間フリートークしたり

 

と、強制的にしゃべらざるをえないシチュエーションを作ってしゃべる練習をしました。

 

 

しかしいくらしゃべる練習をしてもコミュ障からは抜け出せませんでした。

 

 

もうこれ以上いったい何をすれば治るんだよ!

 

 

と逆切れしたくなるくらい、コミュ障は治そうと思っても治らない頑固者でした。

 

 

小1のとき、後ろの席の子がポケモンの話をしてたとき、勇気を出してしゃべってればどんなによかったかと何度も思いました。

 

あのときはしゃべらないせいで自分が将来こんなに苦しむことになるなんて想像できなかったですが…。

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