誰も知り合いのいない大学に行って普通に場面緘黙を克服した話

誰も知り合いのいない大学に行って普通に場面緘黙を克服した話

誰も知り合いのいない大学に行って普通に場面緘黙を克服した話

場面緘黙を克服する方法。

 

それは高校まで場面緘黙として生きてきた中で自然とわかってました。

 

 

私がしゃべらないことを誰も知らない場所(学校)に行く。

 

 

それだけ。

 

シンプルです。

 

 

なぜなら、私が中学のときしゃべれなかったのも高校でしゃべれなかったのも全部、

 

周りに自分がしゃらないことを知ってる人がいる状況でしゃべり始めることが不可能に近いくらい難しかったから。

 

 

実際高校のとき、いや小学生のときにはすでに、私がしゃべらないことを知らない人に床屋とか病院とかお店とか道端とかで話しかけられたら普通に答えられましたから。

 

 

で、私は地元から離れた大学に進学し、計画通り、場面緘黙を克服しました。

 

っていうかそもそも小学校高学年ぐらいの頃には知らない場所・知らない人とはしゃべれてたわけで、それが大学になって初めて、学校がそういう場所になった、というだけなんですけどね。

 

 

もし仮に中学や高校の段階で私がしゃべらないことを誰も知らない学校を選んでいたとしても、同じようにしゃべれてたんじゃないかなーと思います。

 

そしてその方が多くの場面緘黙児にとってはいいことなんじゃないかなーと思います。

 

 

理由を言うと大学って場面緘黙克服後のリハビリにはちょっときつい場所なんですよ。

 

高校までと違ってクラスが固定されてなくて、友達作りにくいので。

 

 

詳しくは「場面緘黙の後遺症のコミュ障克服までの記録:大学時代」を読んでいただければわかりますが、私は大学で場面緘黙の後遺症のコミュ障に苦しみ、しゃべれこそしたものの、ほぼ友達できませんでした。

 

 

しかし場面緘黙を中学や高校などの早い段階で克服した人の本や体験記を読むと、そんなに苦労なく、友達ができてる人が多いんですよね。

 

元場面緘黙だと何かしらの後遺症がある人は多いんですけど、早い段階で治せた人ほどそんなに苦労してない人が多い気がします。

 

これはコミュ力が低い人にとっては中学や高校が大学よりも友達を作りやすいからだと思います。

 

 

そして場面緘黙のリハビリには友達と会話しまくることが大事なので友達ができないと後遺症に苦しむことになりやすいと思います。

 

 

まぁ私の場合、高校で人のやさしさに触れられていいこともあったし、後悔はしてないですけどね。

 

 

ってわけで場面緘黙を克服したい人の中で、すでに知らない場所・知らない人とはしゃべれてる人なら、誰も自分がしゃべらないことを知らない土地の学校に行くことで克服できる可能性が高いと思います。

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