コミュ障克服したくて接客系のバイトの面接を受けたら30回連続で落ちた話
私は一度海外に行く経験をしてから、海外移住を夢みるようになりました。
少なくともワーホリか留学が1年間海外に住んでみる経験はしたかった。
そのためには結構なお金が必要です。

だから私はバイトを始めることにしました。
で、どうせバイトをするならコミュ力を鍛えてコミュ障治したかったので接客系と決めました。
そしてバイトの面接を何個か受けたんですが、全部落ちました。
それでも諦めずに何箇所も受けまくってたら、なんと30回連続で落ちました。
バイトの面接に受かりやすい理想的な人の特徴が私と正反対すぎた
バイトの面接に受かりやすい人の特徴といえば…
明るくて元気で素直な人
ですね。
私は完全にその正反対です。
暗くて声小さくて頑固な奴だったので。
だから接客系のバイトの面接を受けても落ちて当然とは思ったんですが、そういうバイトをしないといつまで経ってもしゃべることに自信を持てずにコミュ障のままだと思ったので諦めずに頑張りました。
面接のときだけでもなるべく声を張ってできる限り大きめの声でしゃべり(それでも普通の人より小さかったけど)、明るめのトーンでしゃべり、なるべく笑顔も作りました(引きつってたかもしれないけど)。
それでも受からず、落ちまくりました。
正直、逆ギレしたくなりました。
明るくて元気で素直じゃなくて、何が悪いのかと。

世の中「明るくて元気で素直な人間」
ばかりなわけねーだろ
と。
日本では学校でもバイトの面接でも就活でもとにかく明るくて元気で素直な人が好きだけど、少しは海外見習って「多様性」を理解しませんか?と。
どうすれば落ちないか考えてようやく受かる
で、私はコミュ障でバイトの面接に受かりにくい自分がどうすれば受かるかを考えました。
詳しくはこっちのサイトに書いてるんですが、実は私が落ちてた理由はコミュ障だからというより、シフトの問題の方が大きかったのです。
飲食店でバイトするならシフトを金曜夜とか、土日とか、お店が混む時間帯に入れるかがものすごく重要です。
ただでさえコミュ障というハンデがあるのに金曜夜と土曜の昼が部活で入れなかった私は落とされて当然でした。
だから部活を辞め、なおかつ大学周辺の倍率高いお店は避けてバイト先を探した結果、ラーメン屋と居酒屋の面接に受かりました。
コミュ障の私はどっちも受からなそうなバイト先ですが笑
で、バイトでコミュ障が克服できたのかとか、面接に受かるためのもっと具体的な方法とかはこちらのサイトで詳しく書いてるので見てください。

コミュ障でも接客系のバイトの面接に受かるコツはあります。
ただそれがコミュ障克服につながるかというと微妙かもしれません。
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