大学で場面緘黙は克服したけど後遺症のコミュ障&人見知りで友達ができなかった話

大学で場面緘黙は克服したけど後遺症のコミュ障&人見知りで友達ができなかった話

大学で場面緘黙は克服したけど後遺症のコミュ障&人見知りで友達ができなかった話

 

大学に入って場面緘黙を克服した私。

 

でも辛いのはこれからでした。

 

実は場面緘黙は後遺症の方がつらかったのです。


ずっとしゃべらずにいた場面緘黙の後遺症

私は幼稚園から高校卒業までの15年間場面緘黙でした。

 

さすがにしゃべらない期間が長すぎました。

 

まぁ一応家族とはしゃべってたんですが、家族も嫌いであまり会話してなかったですし。

 

 

だからまずコミュニケーション力がありませんでした。

 

また声を出すことに慣れてないためか大学などでしゃべっても小さい声がしか出ませんでした。

 

 

そのせいでよく言ったことを聞き返されたり、「もう少し大きな声でしゃべってくれませんか?」と言われることが非常に多かったです。

 

 

また元々極度の人見知りだったので大学で自分から人に声をかけるのは苦手。

 

人と仲良くなるのも苦手。

 

 

だから場面緘黙を克服したばかりの私はその後遺症で友達を作る能力が圧倒的に欠けてました。

コミュ障&人見知りが大学で友達作るのが無理ゲー過ぎた話

で、私は大学の工学部。理系です。

 

同じ学部には女性は2人しかいません。

 

 

理系男子は無口でクールな人が多く、自分から人に話しかける人が少ないです。

 

自分から声をかけれない私は誰かが話しかけてくるのを待つしかないんですけど、誰も話しかけてきません。

 

だから私に同じ学科の友達はできませんでした。

 

 

ちなみに他の人はどうやって友達作ってたかというと、

 

  • 高校が同じで元々友達だったグループ(これが一番多い)
  • 学部委員みたいなものに入った人たちグループ
  • 同じ部活・サークルで友達になった人グループ
  • 学部の飲み会で仲良くなった人グループ

 

という感じでみんな友達ができていってた感じです。

 

 

私はどれもなかった(卓球部に入ったけど同じ学部の人はいなかった)ので最初から最後まで友達ゼロのままでした。

 

飲み会は一応1回だけ参加したけどお酒はあまり飲めないし集団での会話が大の苦手なコミュ障の私は飲み会中ほぼ一言もしゃべらずに過ごしたのでもちろん友達はできませんでした。

 

 

強いて言うなら学科の授業でグループでやる実験が週1であり、そのグループ決めが名前の順で決まってたので、そのグループが同じ人と多少絡みがありました。

 

今思うとここが私にとって唯一友達作るチャンスでした。

 

でも声が小さくてコミュ障すぎる私はここですら友達は作れず。

 

 

大学で友達を作る難易度は高校生までのそれよりも圧倒的に高いです。

 

 

友達の作りやすさは

 

小学校>>>中学校>>高校>>>大学

 

という感じだと思います。

 

 

無邪気でプライドがなく、誰とでも話して仲良くなろうとする人の多い小学校が一番友達を作りやすい。

 

中学生になるとプライドが邪魔して初対面の人と仲良くなるハードルが一気に上がる。

 

高校生はそれがさらに上がる+昼休みは弁当で強制的にグループ作るわけじゃないのでぼっち飯になりやすくて友達作りにくくなる。

 

 

大学はプライドもあるし、授業は必須科目以外は自由に取るので授業によって同じになる生徒が毎回変わる。

 

昼食も自由に取るし、学食を使う人、外食する人、コンビニで食べる人、家に帰って食べる人で人それぞれ。

 

あと部活・サークルの数が膨大にあるので何かしらの部活・サークルに入ったとしても同じ学科に同じ部活・サークルの人が一人もいない確率が高い。

 

 

ってことで大学で友達を作ることの難易度は高校までよりも圧倒的に高いのです。

 

 

一応週4で活動してる卓球部に入ったので卓球部の中で友達って呼べるほど仲が良かったわけではありませんが、部活後に一緒に帰ったりご飯を食べたりする人はいました。

 

部活がない日に市内の施設で練習したり遊んだりしたこともあります。

 

また大学3年からバイトを始めたのでバイト先の人ともバイト後に遊んだりしたことはあります。

 

 

そんな感じで学部内には友達ゼロでも学部外にこれって友達かもと思えるような人はいました。

 

でも元場面緘黙でコミュニケーションが苦手な私には心を割って話せるような本当の友達はできませんでした。

同じ学部に友達ゼロなせいで過去問が手に入らず苦労した話

同じ学部に友達ができなかった私には過去問が手に入りません。

 

高校まではカンニングとかズルする人って少ないと思うんですけど、大学の過去問はたぶん過半数の人が入手してます。

 

そして大学生にとって大学の単位はできるだけ楽に取り、勉強よりも部活・サークル・バイトなどの大学生活をエンジョイすることの方が大事。

 

日本の大学だと大体こんな感じですね。

 

 

ちなみに実は私も大学の授業には興味がありませんでした。

 

工学部電気電子工学科を選んだんですけど、これを選んだ理由は単純に就職しやすそうだから。

 

興味があって選んだわけではありません。

 

 

本当はゲームが好きでゲームデザイナーになりたかったのに、ゲームデザイナーはブラックが多く、残業が多い会社が多いからやりたくないと思ってやめたんです。

 

で、興味もないのに電気電子工学科を選んだ。

 

 

私は基本真面目な方ですが、大学の授業については真面目に受ける気なくて、単位ギリギリで卒業できればいいとしか思ってませんでした。

 

 

だから過去問が死ぬほど欲しかった。

 

でも友達がいないせいで手に入らなかった。

 

 

おかげで単位を取るために人の2〜3倍努力しなきゃいけないことになりました。

 

大学で友達いなくて一番困ったのは過去問ですね。

 

 

ただぼっち飯してる人とか同じ学部に友達いない人は私以外にも結構いたし、ぼっちであることが恥ずかしいと思うことがあまりなかったのはよかったです。

 

まぁ友達いないせいで普通に大学生らしい青春ができなかったのはちょっと悔しかったですけど。

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